あれから15年ですねぇ [その他]

こんばんは、おたまです。

1995年1月17日午前5時46分、淡路島北部を震源とする地震が起きました。

あれからもう15年ですか、早いものですねぇ。

おたまの覚えている震災当時の様子を書きますね。

おたまは大阪に住んでたので直接地震を体験しているんですけど、

それまで京阪神地区って大きな地震て起きてなかっただけに

誰も地震なんて頭の片隅にもなかったと思います。

おたまも地震の揺れに驚いて飛び起きたほどです。
(揺れがおさまるまで動けなかったですけど)

その後はテレビをずっと見ていましたねぇ。

倒れてしまった高速道路や傾いて今にも倒れそうなビル、長田を襲う火事、

はじめはひと桁だった死者数がどんどん増えていきました。

そんななか余震がたびたび起きてそのたび怖い思いをしましたよ。

実家の周りでは特に地震による全壊や半壊といった家屋はなかったですけど

実家の壁には大きなひびが走ってました。

神戸の長田におたまの親せきもいまして、怪我などなく無事だったんですけど

お見舞いもかねて震災後に大阪港からシルフィードという船に乗って神戸に

いきました。(ようやく神戸に直接行けるようになったときです)

本来なら大阪湾をクルージングとかする船なんでしょうけど、中のレストランの

テーブルやイスをすべて片づけてスペースを作り、たくさんの人を乗せて神戸へと

向かいました。(船の中ではみんな床に直接すわってじっとしていました)

前の年の暮れに神戸に来たときとうってかわって、なんとも言えない

よどんだ感じになってましたよ。

港にはいとこが迎えに来てくれてましたよ。様子を聞きながら親せきの家に

向かう際にも余震が起きてましたねぇ。遠くでずーっとサイレンの音が鳴って

いました。道はがれきがあちこちあったと思います。

親せきの家は商店街の中にある食堂ですけど、幸い大したことは

なさそうでしたけど火事は商店街の裏のあたりまで来ていたそうです。

まだライフラインが回復していない状態なので電灯はつかず薄暗い感じ、

寒い時期とはいえ冷蔵庫も使えないためかあたりには酸っぱいにおいが

漂っていました。

親せきにたしか水やカイロ、電池などを渡したとおもいます。

帰りもまた船に乗って大阪に帰りました。

その後の震災の話はオウムの地下鉄サリン事件の影に隠れていったように

感じます。

震災によっておたまのまわりの人間に怪我などはなかったですが

多くの人が亡くなりました。

ご冥福をお祈りします。

最近ハイチで大地震が起きましたね、日本からも災害支援チームが向かったそうです。

がんばってくださいね。

それじゃあ、今日はおしまい

またね~
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