結局、決着というほどのものはなかったですね [読書]

こんばんは、おたまどす。

美味しんぼ問題は原作者が言っていたほどの

決着というものはなかったようですね。

「真実」「偽善」という言葉が使われているみたい

ですが、原作者の主張が「真実」であり、それ以外の

意見は「偽善」と切り捨てるのはそれはそれで

危険だなと思いますよ。

「事実」に対して主張者の意見によるフィルターが

かかった時点でそれはもう「真実」ではないかな?

「事実」を「事実」として受け止め、各人が自分の

意見を持つことは重要でしょう。でも、他人の意見を

そのまま受け入れるのは思考の停止であり、

物事を考えることを放棄していることです。

すくなくとも今回の美味しんぼの内容を鵜呑みせずに

他の多数の意見を耳にし自分なりに考えることが

「真実」に近づくことになるんじゃないでしょうか。

今回の話で「偽善」は「耳障りのいい言葉」であり、

「真実」は聞くのも辛いことのように書かれています。

でも、これって立場が変わればまったく逆になりますね。

福島が危険だと思う人にとっては「安全」だ「危険はない」

ということは「偽善」であり、「危険」であることこそが「真実」

である。しかし、福島が危険ではないと思う人にとっては

「安全」「危険はない」ことが「真実」であり、「危険」なところ

からはさっさと逃げろといういうのは「偽善」に他ならないでしょう。

そもそも、おたまは「偽善」というものは外から見ると「善」と

見分けがつかない、行為そのものは同じで動機が異なるものだと

思っています。だから結果的には「善」でも「偽善」でもいいんだよ、

それが「欺瞞」でなければ…

おしまい
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